友達だと思わないこと

友達だと思わないこと

友達だと思わないこと

  友達の基準は人それぞれですが、人によっては『誰とでも友達になりたい』と考えますよね。
  『友達』この基準にとても慎重な人がいる一方で、『少しでも話したら友達』と捉えるなど、
  とても低く設定している人もいるでしょう。

  いじめられているのなら、慎重な基準を作った方がいいです。
  いじめられる人の場合、同時に友達も少ないという傾向がありますから、『友達が欲しい』ということからも、
  『関わっている人は皆友達』としがちなんです。

  ですがそうすると『自分をいじめる人間でさえもどうでもいいと思えない』ということがあり、
  結果的に『いじめられているのにも関わらず、その人間達を必要としてしまう』
  という心理状態に陥ってしまうのです。

  いじめられている事はもちろん不快であり苦しいことなんですが、いじめてこなくなり、
  また関わらなくなったらそれはそれで違うと感じてしまう。

  つまりこのような性格の人が求める答えとは『いじめるのではなく普通の友達として仲よく遊びたい』ということ。
  しかし人間関係はそんなに甘くないですし、そもそも、
  『コイツはどうでもいい』と思われているからこそいじめてくるのです。

  大切な友達だったり、仲良く遊びたい対象だったら傷付けることなど普通はしませんよね。
  その証拠に、いじめっ子同士は普通の友達であり、仲良く遊んでいるのではないでしょうか?

  いじめられている時点で『面白いから』という理由でターゲットにされているだけです。
  それによってこちらが何を感じるかとか、どれだけ傷付くかなどは全く考えていませんので、
  こちらも『コイツらどうでもいい』と思えることが大切になってきます。

  ですので自分をいじめる人間は友達だなんて思わないようにしましょう。
  本当にどうでもいい存在ですから、例えば急に苦しみだしても、
  目の前でトラブルに巻き込まれていても我関せずでいいのです。

  それが『どうでもいい』ということですから、そこで『大丈夫か?』と声をかけてしまったり、
  その人間のために動いてしまったら必ず利用されますので、
  『どうでもいい人間が困っていても助けない』これを肝に銘じて自分を守れる人間になりましょう。


  『人が困っていても助けない』これでは人間じゃないように感じるでしょうが、我々のようにいじめられる人間は、
  この弱さがあるからこそいじめに遭うんです。

  いじめる人間の殆どは『道で誰かが倒れていても無視する』と考えられます。
  そのくらいになれないと自分を守れないということもあります。

  例えば道で倒れている人間は『人を騙すために敢えて倒れたふりをしている』ということだってなくはないでしょう。
  あらゆる状況を考えることが大切ですから、どうでもいい人間のことなど考えない人になりましょう。